2026.04.07

【創業ストーリー】渡辺パイプのルーツは、淡路島のカマボコ屋?

住宅設備や建築資材を通じて、日本のライフラインを支えてきた渡辺パイプ。その歩みは、一人の創業者の原体験から始まりました。今回は、渡辺パイプ創業者・渡辺次祐がどのような環境で育ち、どんな思いで事業を立ち上げたのか、その創業の物語をたどっていきます。
はじまりの舞台は、淡路島の「カマボコ屋」でした。

淡路島で育った、商いの原体験

今からおよそ100年前。淡路島で、8人兄弟の7番目として生まれたのが、渡辺パイプ創業者・渡辺次祐です。
実家は、かまぼこ屋を営んでいました。地元で獲れる新鮮な魚を使い、手間を惜しまず丁寧に仕上げる。決して効率を最優先するやり方ではありませんでしたが、だからこそ、地域の人々から信頼される商いでした。

次祐は小学生の頃から、出前などの手伝いをしていました。
商品を届けること。顔を合わせ、言葉を交わすこと。
その一つひとつが、「商売とは何か」を体で覚える時間だったのです。

後に渡辺パイプが大切にしてきた、現場に近い距離感や、人とのつながりを重んじる姿勢は、すでにこの頃から育まれていたのかもしれません。

(渡辺パイプ創業者・渡辺次祐の生家。「魚伊蒲鉾店」 100年の歴史を刻み、現在は休業中)

渡辺パイプのルーツである淡路島は、古くから「御食国(みけつくに)」と呼ばれ、海の幸の宝庫として知られてきました。
現在も渡辺パイプでは、そのルーツを大切にし、淡路島の海の幸を詰めたお歳暮を、取引先の皆さまにお届けしています。

(渡辺パイプのルーツである淡路島の歴史と、渡辺パイプの歩みを伝えるため、「御食国(みけつくに)淡路島」をコンセプトにしたお歳暮)

早稲田大学を卒業後、大きな志と夢を持って台湾の台北帝国大学に進学しました。しかし、そこで太平洋戦争が始まります。軍隊での生活、そして戦後の混乱と貧困。仕事も物もない中で、次祐が強く感じたのは、「働く場があること」そのものの価値でした。

「仕事が欲しい。どんなに骨が折れる仕事でもいいから仕事がしたい」

この切実な思いが、後に事業を興す原動力となっていきます。戦後、米軍関連の鉄資材事業に携わった経験を活かし、1953年、次祐は鉄関連資材を扱う「渡辺次祐商店」を創業しました。

(当時の店構え)

「他社がやらない」挑戦で、信頼を積み重ねる

当然ながら、創業当初に得意先はありません。人脈も、実績も、何もない状態からのスタートでした。
そこで次祐が考えたのは、「どうすれば選ばれる存在になれるのか」ということでした。当然、お得意先はいません。まさにゼロからのスタートでした。
「他社にはできないことをやらなければ勝ち残れない」と考えた次祐は、2つのことを始めます。
一つ目は、電話一本で商品を届けることでした。
注文が入れば、役職に関係なく自ら商品を積み込み、顧客のもとへ足を運びました。
まだ流通インフラが整っていなかった時代に、「必要なときに、必要なものを確実に届ける」ことを徹底する。その姿勢は、現場で働く人たちにとって心強い存在となっていきます。
商品を届けるだけでなく、顔を合わせ、言葉を交わす。その積み重ねが、信頼関係を築く第一歩でした。

二つ目は、掛け売りの導入です。
現金を持ち合わせていない顧客にも商品を届ける。当時は現金売りが常識の時代でした。
リスクを伴う選択でしたが、そこにあったのは「相手を信じる」という商いの姿勢です。
こうした取り組みを通じて、現場で働く人たちの信頼は、少しずつ積み重ねられていきました。
創業から3年後、社名を渡辺パイプ株式会社へ変更します。
社名は変わっても、「相手の立場に立って考える」という姿勢は、変わることなく受け継がれています。

1957年、千葉県船橋市に初の営業所を開設しました。ここから、渡辺パイプの全国展開が本格的に始まります。

(千葉県船橋市に初の営業所を開設)

高度経済成長期を迎え、日本各地で建設需要が高まる中、浦和、平塚、宇都宮、札幌、熊本、大阪へと、拠点を着実に広げていきました。

しかし、拠点数を増やすこと自体が目的ではありません。
お客様の現場の近くにいること。必要なときに、必要なものを確実に届けること。
そのためのネットワークづくりでした。その積み重ねが、いまでは全国に約600カ所の営業所を構えるまでにつながっています。

1970年代に入ると、2度にわたるオイルショックが発生します。
資源不足の影響で、業界では塩ビパイプの供給が滞る事態となりました。

そんな中、次祐は福岡に大型拠点を開設します。倉庫には、塩ビパイプを大量に在庫として積み上げました。
物が足りない時代に、あえて在庫を持つ。
簡単な判断ではありませんでしたが、そこにはメーカーとの信頼関係と、「現場を止めない」という強い覚悟がありました。この出来事は、「他社にはできないことをやる」という渡辺パイプの姿勢を象徴するエピソードとして、今も語り継がれています。

(1973年 福岡に大型拠点を開設)

拠点数を伸ばしていく中で、一部の営業所では、「ここに来れば必要なものが揃う」売り場づくりにも挑戦しました。
単に商品点数を増やすのではなく、現場で使われる資材や設備を一カ所で揃えられること。
お客様が何度も足を運ばなくて済むようにすること。
現場の負担を少しでも減らしたいという思いから生まれた取り組みでした。

もちろん、最初から完成された形があったわけではありません。
商品構成や売り場づくり、在庫の持ち方など、試行錯誤の連続でした。
それでも、現場の声に耳を傾け、「もっと便利にできないか」を問い続ける中で、少しずつ形になっていきます。 こうした積み重ねが、後に渡辺パイプの強みとなるワンストップサービスの考え方へとつながっていきました。
その積み重ねが、いまの渡辺パイプの強みを形づくっています。

渡辺パイプの歴史を振り返ると、常に時代の変化と向き合いながら、選択を重ねてきたことが分かります。

創業期の即配・掛け売り、全国展開と在庫戦略——どれも、最初から正解があったわけではありません。
それでも、現場を見つめ、考え、試し続けてきました。渡辺パイプの歴史は、決して過去の物語ではありません。

現場を支えたいという思い。変化を恐れず、挑戦する姿勢。それらは、今も仕事の中に息づいています。これから入社する一人ひとりが、そのバトンを受け取り、次の時代の渡辺パイプをつくっていきます。

現場から、社会を支える。その歩みは、これからも続いていきます。